アーケオプテリクス | 始祖鳥
図鑑 / 恐竜のしっぽ
アーケオプテリクス | 始祖鳥とは
学名(属名) | Archaeopteryx |
名前の意味 | 古代の翼 archaio(古代の)[ギリシャ語]-pteryx(翼)[ギリシャ語] |
分類 | 竜盤目・獣脚類 (獣脚亜目・テヌタラ類) 始祖鳥(アーケオプテリクス)目・アーケオプテリクス科 |
全長 | 約50cm |
食性 | 雑食 |
生息時期 | ジュラ紀後期(約1億4600万年~1億4100万年前) |
下分類・種名 | Archaeopteryx lithographica |
論文記載年 | 1861 |
属名の記載論文 | Archaeopterix lithographica (Vogel-Feder) und Pterodactylus von Solnhofen. Neues Jahrbuch für Mineralogie, Geognosie, Geologie und Petrefakten-Kunde. By H. von Meyer, 1861. |
特徴
アーケオプテリクス=始祖鳥の化石は、いずれもドイツ・バイエルン州ゾルンホーフェン近郊のジュラ紀後期(約1億5100万年~1億4100万年前)の地層から発見されています。
恐竜と鳥類 両方の特徴をあわせもつアーケオプテリクスは始祖鳥とも呼ばれ、初期の鳥類と考えられています。
近年の研究では、アーケオプテリクス(始祖鳥)は初期の鳥類ではありますが、現生鳥類 直接の祖先ではないと考えられています。
鋭い歯とかぎ爪を持ち、尾の先まで骨がのびています。飛ぶのに適した風切羽で前脚(腕)を被い、翼を形づくっていました。後脚や尾にも羽が発達しています。 その反面、首より上の頭部には羽毛の痕跡は無く、おそらく頭部には羽毛は無かったようです。
アーケオプテリクス(始祖鳥)が羽ばたいて飛べたのか、樹上などから滑空するのみだったのかは議論の的になっています。
アーケオプテリクス(始祖鳥)の肩関節は現生の鳥類に比べて動かせる範囲が狭く、胸骨が太く、竜骨突起がなかったことから、翼は高く上げることはできず、
飛翔能力は高くなかったことを示しています。
しかしながら、2004年に行われた脳構造についての調査では、アーケオプテリクス(始祖鳥)に、現生鳥類と同様の空間認識能力があったことも示唆されています。
しばらく、始祖鳥の飛翔についての議論は続くようです。
2011-2013年にかけてライアン・カーニー(Ryan Carney)らが走査型電子顕微鏡とエネルギー分散型X線などを使って、 始祖鳥の羽根の色についての分析を行いました。その結果、少なくとも尾の隠れた部分には、光沢のある黒色(現生のカラスのような)の羽根をもっていた可能性を示唆しました。
鳥類としての始祖鳥
アーケオプテリクス(始祖鳥)は、現生の鳥類に似た翼の構造をしています。
風切羽は、軸に対して左右非対称に羽枝と呼ばれる細かい羽毛(太さは1mm未満です)が生えています。羽枝の両側にも細かい毛が枝分かれ状に並んでおり(小羽枝)、この枝の途中に、カギの形をしたもの(小鉤)がたくさんついています。カギの形をした小鉤が隣の羽枝に引っかけて、大きな羽のかたまりを形づくっています。
飛翔するのに適したこの構造を、アーケオプテリクス(始祖鳥)は備えていました。 反面、アーケオプテリクス(始祖鳥)が羽ばたいて飛べたのか、樹上などから滑空するのみだったのかは議論の的になっています。
近年の研究では、アーケオプテリクス(始祖鳥)は現生鳥類の直接の祖先ではないことがわかっています。
始祖鳥は初期の鳥類ではありますが、現生鳥類へ至る進化の枝上には含まれていません。
始祖鳥が生息していたジュラ紀後期(約1億4600万年~1億4100万年前)に、どの程度鳥類が多様化していたのかはわかっていません。
恐竜-獣脚類としての始祖鳥
始祖鳥が発見された1861年、羽毛をもつ=鳥類が常識でした。そのため、始祖鳥は鳥類に分類されています。
ところが、1990年代以降、中国などから羽毛をもつ恐竜が多数発見されました。
現在では、鳥類と恐竜(獣脚類)の線引き(どこからが恐竜でどこからが鳥類なのかの判断)すら難しい状況となっています。
始祖鳥は、鳥類としての分類
[鳥網] - [古鳥亜網] - [始祖鳥(アーケオプテリクス)目] - [アーケオプテリクス科] の側面をもつ他に、恐竜の一種とも考えれており、恐竜としての分類
[竜盤目] - [獣脚類] - [テヌタラ類] - [コエルロサウルス類] - [マニラプトル類] にも属しています。
主な始祖鳥標本
1861年 ヘルマン・マイヤー(Hermann von Meyer)によって始祖鳥が記載される基になった標本は、"Single Feather"と呼ばれる単一の羽根でした。
始祖鳥には、所蔵地名称で呼ばれる標本が多数あります。
ロンドン標本
標本番号BMNH 37001
最も有名な始祖鳥標本のひとつです。縦60cm、横40cmの石灰石板にほぼ全身が保存されています。
1861年にドイツのランゲナルテム近郊で発掘された標本は地元の医師に医療サービスへの代償として譲渡され、その後ロンドンの自然史博物館に700ポンドで売却されたようです。
1863年大英自然史博物館にいたリチャード・オーウェン(Richard Owen)によって、始祖鳥Archeopteryx macruraと同定されました。
1961年に無効名となり、現在ではArcheopteryx lithographicaとされています。
ベルリン標本
標本番号HMN 1880⁄81
有名な始祖鳥の標本です。縦46cm、横38cmの石灰石板に全身が保存されています。
1874-75年に地元の農家によって、ドイツ・アイヒシュテット近郊のブルメンベルグで発見された標本です。 1876年 発見者だった農家は、牛の購入代金を得るためにこの化石を売却しました。 1877年-1881年間にバイヤーたちの手を通り、最終的にベルリン自然史博物館に譲渡されます (当時のドイツ通貨で、20000ゴールドマルクの取引だったそうです。ゴールドマルクは金本位通貨でした(2790マルクで1000gの純金と等価)。 取引額20000ゴールドマルク=金7168.4g。日本円換算では約3584万円ほどになります(2018年4月のレート 金1g 5000円と仮定)。その価値を考えると、安い?)。
頭部を含む完全は標本で、1897年にヴィルヘルム・ダムス(Wilhelm Dames)によって始祖鳥の新種"Archeopteryx siemensii"として記載されました。
オリジナル標本はベルリン自然史博物館(フンボルト博物館)が所蔵しています。 多くの博物館にそのレプリカ(複製)が展示され、化石コレクター向けにもレプリカが製作され販売されています。
Haarlem標本(Teylers標本)
標本番号TM 6428⁄29
1855年 ドイツ・リーデンブルクで発見された標本で、縦23cm、横12cmの石灰石板に、膝周辺と前肢の一部などが残る部分化石です。 1857年 ヘルマン・マイヤー(Hermann von Meyer)によって翼竜"Pterodactylus crassipes"として記載されましたが、 1970年にジョン・オムストロム(John Ostrom)により始祖鳥Archeopteryxに再分類されました。
さらに2017年にはオストミア(Ostomia)属に分類されています。中国から発見された獣脚類アンキオニスと近縁と考えられています。
現在は、オランダのハールレムにあるテイラー博物館に所蔵されています。
アイヒシュテット標本
標本番号JM 2257
1951年 ドイツ・ワルザーツェル近郊で発見された標本です。雄型と雌型凹凸が揃ったペア標本です。幼体であったと推測されています。
1974年 ペーター・ヴェルンホファー(Peter Wellnhofer)によって記載されましたが、別の属Jurapteryxである可能性があります。
ドイツ・アイヒシュテットにあるジュラ博物館に所蔵されています。
ミュンヘン標本
標本番号BSP 1999 I 50
1992年 ドイツ・ランゲナルトハイム近郊で発見された標本です。以前はバイエルン標本と呼ばれていました。
母岩の大きさは、縦53cm、横43cm。上顎を欠いていますが、他は完全な状態で保存されています。
1993年 バイエルン州立古生物・地史学コレクションの管理者だったペーター・ヴェルンホファー(Peter Wellnhofer)によって論文記載されました。 彼はアイヒシュテット標本の記載者でもあり始祖鳥の標本研究で知られていますが、 翼竜研究の権威としても有名です(日本でも、Peter Wellnhofer著の翼竜に関する書籍(ISBN 4-582-54522-X)が発刊されています)。
2009年の研究によって、生後300日ほどの個体であることが示唆されています。
また、当初は胸骨と考えられたものが恥骨の一部であることが判明しました。
最近の研究では、ベルリン標本同様Archeopteryx siemensii種である可能性が提唱されています。